かんざきあつこです。
今日は小学校の社会見学(*´﹀`*)
「おかあさん、お弁当お願いね!」
と昨日からワクワクの娘達。
「キャラ弁、作られへんけどサツマイモのごはんにするから許してくれる?」
って聞いてみたら「やったーーー!💕」
と2人して大喜びしてくれた。
よかったぁ(笑)
朝、起きて時計を見たら時間がなくて
焦ったけど、なんとか写真は撮れました💦
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食育は身体だけじゃなく、心も育てる。
子供に限らず大人も同じ。
食べ物は香りや音楽と同じで、記憶や思い出を蘇らせるから
私は人を癒し、心も身体も温められるような
あったかいごはんを作り続けたいなぁと思う。
【心を育てるってどういうこと?】
「食べる」という行為だけを見ると
ピンとこないかもしれない。
でも実はいろんなことと繋がっている。
例えば【好き嫌いの克服】について考えてみると…
・
「食べたくないものは食べなくていい」
それは相手にとっては目に見える優しさだけど一過性のもの。
何でも受け入れ、許すということだけが優しさではない。
「嫌なことはしなくていい」ではなく
克服できるように導いてあげるのも愛であり優しさ。
決して強制するということではなく愛をもって「導く」こと。
うちの子達は好き嫌いが殆どない。
強制はしなかったけれど、環境を作るよう心掛けて育てた。
子供達が食べてくれないと分かっていた食材も
必ず食卓には並べ、私は常に美味しそうに幸せそうに横で食べる。
学校のお友達もそうだけど、自分の好きな人が美味しそうに食べていたら
興味を持つようになり「ちょっとだけ食べてみようかなぁ」って気持ちになる。
子供にとって、大好きな親や兄弟の影響は大きい。
その気持ちだけで苦手なものを克服し、
必ず食べられるようになるというわけではないけれど
どんな時もブレずに大きな愛で包んでくれるという安心感があれば
子供達は安心して何かに挑戦したり、冒険することができる。
「克服する」ことよりも、その「挑戦したい」という自主性を育てていくことが大切。
親と離れ、学校という小さな社会の中で生活するようになると
なんだかんだ言っても、綺麗ごとだけじゃ生きていけなくなるから。
食べ物に限らず、親が子供に厳しく言うのは憎しみではなく愛しているからこそ
「怒る」は自分の感情ベース。
「叱る」は相手への想いがベース。
「甘やかす」と「可愛がる」も違う。
少しでも生きやすくなるように。
皆に愛される人になってもらいたい。
そんな想いを抱き、叱るという行為は
エゴではなく「愛」だと思う。
…何の話か分からなくなってきたけど(笑)
「『食事』は食べるという行為だけではなく
いろいろなことにリンクし、心も育てている」ということ。
食を通して、そんなお話を伝えて行けたらいいなぁと思います(*´﹀`*)